ヒトがん免疫が成立することをいち早く確信
ATLに対する日本発の分子標的薬を開発(後編)
上田龍三(名古屋大学大学院 医学系研究科 特任教授、名古屋市立大学 名誉教授、愛知医科大学 名誉教授)
2023.12.14
上田龍三(名古屋大学 特任教授)
1944年朝鮮・京城府生まれ。1969年3月名古屋大学医学部卒業。同年4月名古屋大学合同内科入局、72年6月同大第一内科入局。76年9月米国・ニューヨークのスローン・ケタリング癌研究所客員研究員。80年9月愛知県がんセンター研究所化学療法部主任研究員、同室長、同部長を経て95年4月より名古屋市立大学医学部第二内科教授に。2003年4月名古屋市立大学病院病院長(兼務)。08年4月〜12年3月まで名古屋市病院局局長を務める。12年4月愛知医科大学腫瘍免疫寄付講座教授、12年4月名古屋市立大学特任教授、18年11月より現職。第67回日本癌学会学術総会会長。ATLに関する文部科学省や厚生労働省の多くの研究事業の研究代表者を務めた。
私は、愛知県がんセンターに15年勤め、その後1995年4月に名古屋市立大学第二内科の教授に就任しました。第二内科では血液学研究として多発性骨髄腫(MM)に注目してきました。MMは長い年月をかけて発症し、化学療法に難治性であることから、発がん機構でも治療法確立の面からも、転座型白血病と固形がんの中間に位置する腫瘍ととらえられます。教室の飯田真介先生(現:同大血液・腫瘍内科学教授)は、留学先のコロンビア大学でMUM1/IRFやIRTA1/2遺伝子のクローニングなど、MMの分子基盤の研究で大きな成果を上げていました。
当時、私はJapan Adult Leukemia Study Group(JALSG)の成人難治性白血病の班長として、二次性白血病、高齢者白血病の臨床研究を展開しました。二次性白血病については全国調査を行ない、その結果、白血病の1.9%が二次性白血病であること、その多くは慢性白血病であり、急性骨髄性白血病(AML)の5%前後を占めること、全生存期間(OS)中央値は9.7カ月と不良であることなどを明らかにしました。
また、スローン・ケタリング時代からの腫瘍抗原の解析やがんの治療法の開発研究も継続しました。そして、2000年から抗CCR4抗体によるATLの治療研究を本格化しました。
抗体のフコース除去でADCC活性が増強
ATLに対するモガムリズマブの有効性を証明
1977年に、高月清先生らがATLという疾患を初めて提唱しました。私は米国留学中で、ラボでは「日本ですごい白血病が見つかった」と大変な話題になったことを思い出します。1981年には米国のGallo博士と、日沼頼夫先生のグループがほぼ同時にATLの原因ウイルスであるヒトT細胞白血病ウイルス1型(HTLV-1)を発見しました。その後、日本人の研究者により、その病態解明、疫学研究、発症機序の解明、感染予防対策が行なわれてきましたが、当時は標準的な治療法が確立されていませんでした。
私は愛知県がんセンター研究所時代から、協和キリン(当時は協和醗酵工業)とモノクローナル抗体の研究を続けてきました。同社はインターロイキン8(IL-8)の発見者である東京大学の松島綱治先生とケモカインレセプターの抗体を作製しており、1999年にCCR4に対する抗体の作製に成功しました。そして協和キリンの花井陳雄氏(後に協和発酵キリン社長)から「この抗CCR4抗体を臨床で使えるかどうか、一緒に研究したい」との申し入れがありました。
その後、松島先生はATLにCCR4が発現していることを『Blood』に報告しました。私たちは、ATLの細胞や疾患がCCR4分子とどういう関係にあるかをin vitroの実験や動物実験を行ない、最終的に、臨床で用いる抗体薬の開発にこぎ着けました。その間に得られた重要な研究成果が2つあります。
一つは、約200人の悪性リンパ腫患者さんのがん細胞についてCCR4分子の発現を検索したところ、ATL患者さんの90%はCCR4分子が強陽性であることを見出しました。CCR4陽性ATL患者さんと陰性患者さんの予後を比較すると、陽性の方が有意に予後不良であることも分かり、抗CCR4抗体が重症度や予後予測に有用であることが示唆されました。
もう一つの研究成果は、抗CCR4抗体の糖鎖のフコースを除去することで、ADCC(抗体依存性細胞傷害)活性が非常に強くなることを、2003年に協和発酵研究所が見出したことです。この発見は、『The Journal of Biological Chemistry』に報告され、抗体作製における革新的な特許となりました。ヌードマウスやNOGマウスを用いたin vivoの実験で本抗CCR4抗体により大きな治療効果が得られること、さらに、in vitroで、ATL患者さんのATL細胞にこの抗体を反応させると、患者さんのNK細胞が自分のATL細胞を殺すことを証明しました。これらはがん免疫研究にとって大きな成果でした。
一連のトランスレーショナル・リサーチの成果に基づき、協和キリンとの共同研究として、CCR4陽性腫瘍に対するモノクローナル抗体モガムリズマブの臨床試験を2007年に開始しました。第Ⅰ相試験で安全性と薬理動態を確認し、第Ⅱ相試験では対象を再発・難治ATL患者さんとし、投与量を週1回1mg/kgとしました。既にこの臨床試験のことはATLの患者会などに知れ渡り、多くの患者さんが積極的に参加し、わが国の臨床試験としては1年足らずという異例の早さで26例の登録が終了しました。その結果、8例が完全寛解、5例が部分寛解で、奏効率は50%となりました。これらの結果は、2012年の『Journal of Clinical Oncology』に採択され、社会的にも科学的にもインパクトのあるデータであると評価されました。
さらにこれらの研究を通じて、CCR4分子が制御性T細胞(Treg細胞)の細胞膜に発現していることも見出しました。一般がん患者さんに対する抗腫瘍免疫療法として応用できることも確認しました。
名古屋市病院局長も務め市立病院を再編
臨床で抱いた問題の解決に努力することが大切
名古屋市大時代には、臨床、研究、教育のほかに、2003〜07年まで病院長を兼任しました。また、2008〜12年まで、名古屋市初の病院局局長に就任し、累積赤字が百数十億円に上る市立5病院の改善に取り組み、2病院体制に再編しました。病院局長時代は、夕方に市役所を出て大学に戻り、深夜まで研究に取り組みました。
日本で初めて、日本発の抗がん抗体薬の開発に成功したことで、がん免疫を追究し、がんに対する抗体医療の実現を目指してきた私の研究生活は一区切りだと思っていました。2010年3月の名古屋市大退官を考えてのことでもありました。そう思った矢先、2010年に本庶佑先生がPD-1を見出したことで、私の研究者魂に再び火が点きました。
2012年4月、67歳のときに愛知医科大学に腫瘍免疫寄付講座を開設しました。そして、固形がん患者さんにおけるモガムリズマブのTreg細胞除去の有効性を検討する医師主導の臨床試験第Ⅰa相、第Ⅰb相、第Ⅱ相の3つを実施しました。その結果、固形がん患者さんの末梢血中のTreg細胞を安全に除去できることを確認しました。また、新しい免疫療法の試みとして、固形がんに対する術前がん免疫(ネオアジュバント)療法の開発にも取り組みました。現在は、名古屋大学で引き続き、がん免疫、免疫医療の研究を続けています。
1960年代から、がん治療は2〜3年ごとに大きな進歩がもたらされてきました。21世紀に入ってからは、がん免疫療法は薬物療法、外科療法、放射線療法に加え、4本目の柱となりました。外科療法ではロボット支援手術が、放射線療法では3次元照射や陽子線・重粒子線が、免疫療法では免疫チェックポイント阻害療法やCAR-T細胞療法が保険適用となりました。
「人工知能(AI)ホスピタル」の実現は、医療を進展させると共に、医学教育や医療制度をはじめ医療界に大きな変革をもたらすでしょう。がん治療領域では、AI、IoT(Internet of Things)、ビッグデータ技術を駆使することで、患者個別に最適ながん治療を提案できる時代になると考えています。
そしてがん教育の重要性はさらに増していくでしょう。2008年の日本癌学会学術集会と日本癌治療学会総会が合同開催されたとき、私は日本癌学会学術集会の会長を務めました。
「Cancer Week 2008」と名付けたキャンペーンでは「まずは、がんを知ること」「あなたはがんについて、どれだけ知っていますか」という標語を掲げました。そして高校生を対象にした「青少年育成セミナー」も併催しました。がんについては新たな研究結果が日々報告され、アップデートされていく病気や治療に関する情報提供は医療者の重要な責務だと考えています。
若手の研究者には、臨床を通じて抱いた問題を大事にすること、その解決は困難かもしれないけれど克服するための努力を続けてほしいと願っています。そのためには、なぜ医師になったのかを常に考えながら患者さんに向き合うことが大切です。
振り返れば「なぜ白血病になるのか」「なぜ、がんになるのか」という医師駆け出し時代の問題を追い続け、基礎研究の重要性を学び、その成果を臨床に導入するトランスレーショナル・リサーチ(橋渡し研究)の重要性を認識し実践してきた研究生活でした。多くの指導者や研究仲間に支えられてきたことに深く感謝しています。