白血病幹細胞研究の最前線を走る
「どこから白血病は来るのか」の解明へ(前編)
菊繁吉謙(九州大学 大学院 応用病態修復学 講師)
2018.05.10
白血病幹細胞の同定の数年後から、その生物学的特徴、起源、発生プロセスなどの研究に取り組んできた九州大学大学院・応用病態修復学の菊繁吉謙氏。急性骨髄性白血病(AML)の根治のために、白血病幹細胞を治療標的ととらえ、特異的に発現する表面抗原TIM-3を同定し、新たな治療への道筋を付けた。慢性リンパ球性白血病の発症機構の解明も進めており、白血病治療のブレークスルーを目指し、日々研究に取り組んでいる。
急性骨髄性白血病(AML)における白血病幹細胞の純化と同定から20年以上が経過しました。この間、さまざまな新規解析技術の進展により、白血病発症機構の解明、白血病幹細胞と臨床的予後との関連、特異的治療標的分子の同定など、白血病幹細胞の研究は幅広くかつ深く展開されてきました。これは、白血病幹細胞モデルを用いた病態理解が、実際のヒトAMLの理解においても有用であることを示しています。
初期研修後から白血病の研究に取り組む
マウスモデルではなくヒトの細胞で研究
私が白血病幹細胞の研究に携わるようになったのは、3年間の初期研修を終え、2004年に九州大学の研究生になったときからです。その年に赤司浩一先生(九州大学病院病院長)がハーバード大学から帰国され、遺伝子細胞療法部教授に着任すると同時に、私はそこの研究生になりました。赤司先生の研究室のスターターの一人として、どんな研究テーマも自由に選べる状況でした。
遺伝子細胞療法部ではすでに白血病幹細胞の研究が中心となっていたこともあり、私は白血病の発症プロセスを研究テーマに選びました。まずヒトのAMLで高頻度に変異が認められるFLT3分子について研究を始めました。マウスの造血幹細胞にはFLT3分子が発現しないのに対してヒトでは造血幹細胞レベルからFLT3分子が発現しており、ヒトとマウスには大きな乖離があることが分かりました。そこで、私がこれまで診療したAMLの患者さんの白血病細胞について調べようと考えました。
観察する細胞には、診療した臨床情報が紐づいています。「寛解まで意外に早かった」「難渋したな」などの印象も含めて、細胞から患者さんの顔が浮かんできます。一方で白血病細胞のふるまいは患者さん各々で異なり、経過も違います。なぜこうした差が出てくるのか、通常は遺伝子変異による裏付けを考えるのでしょうが、私は臨床的な側面から別の理由があるのではないか、と推測しました。そしてこの基本的なクリニカルクエスチョンを解明したいと考えました。
当時の白血病幹細胞についての論文を横断的に考察すると、AML白血病幹細胞は主としてヒト正常造血幹細胞と同一の表面形質を有するCD34+CD38-分画内に存在していること、白血病集団も均一な集団ではなく、増殖能や自己複製能などの機能は不均一で、長期にわたって白血病を再構築できる細胞から短期的にしか維持できない細胞までさまざまに存在することが分かりました。CD34+CD38-正常造血幹細胞を頂点とする造血幹細胞システムと同じように、白血病集団でもCD34+CD38-白血病幹細胞を頂点とする機能的階層性が存在しているということです。このように幹細胞システムと白血病が相似形をなしているということに当時大きな驚きを覚え、「白血病がどこからやってくるのか」という大きなテーマに取り組むことになりました。
子どものころは天文学者にあこがれ
基礎と臨床が密接に関連する血液内科へ
私が医師になろうと思ったきっかけは、高校生のときに祖母が脳梗塞で倒れたことでした。それまでは、星が好き、宇宙が好きで将来は天文学者になりたいと考えていました。天文学も含め、科学・学問が好きだったのですが、祖母の病気をきっかけに、人や社会の役に立つ学問を学びたいと考えるようになり、医師を目指すことにし、九州大学医学部に進学しました。後に赤司先生に出会うことになり、「運に恵まれたな」と今では振り返っています。
母ががんを患ったのは医学部入学後でした。それ以来「がんを治す医者になりたい」と考えるようになりました。どういうがんを治す医者になるか、自分なりに調べていくうちに、“Bed to bench, bench to bed.”、つまり基礎と臨床が日常的に密接に結び付いている血液内科という分野に興味を覚えました。イマチニブやリツキシマブなどの分子標的薬が米国で造血器腫瘍に臨床応用され、わが国でも2000年代に使われるようになり、医学生時代にその臨床効果を目の当たりにしてきました。そして2002年に卒業し、血液学グループのある第一内科に入局しました。
2004年に始まった臨床研修必修化への移行期に当たっていたため、私は籍を第一内科に置いて、千葉県の亀田総合病院で2年間のローテーション研修を受け、その間に血液内科で研修しました。
2004年に九大に戻り、病棟医員として一内科で研修を行い、その後に大学院生となりましたが、第一内科に籍があるので、血液学分野だけでなく、固形がんを診療するグループ、循環器グループ、膠原病・免疫グループのメンバーとの交流が続きました。これは現在でも幹細胞、がん細胞のふるまい、血球の機能、血管内皮の炎症などの理解に大いに役立っています。実際、私が現在一緒に仕事をしている大学院生の中には、心血管疾患や自己免疫疾患の研究を行っている者もいます。
こうした幅広い分野をカバーする環境の中で、私は白血病幹細胞の研究を続けていきました。