「町の医者」が手作りの臨床試験を完遂
CD5陽性DLBCLの新しい治療法の開発に道筋(前編)
宮﨑香奈(三重大学大学院医学系研究科 血液・腫瘍内科学 助教)
2019.06.06
びまん性大細胞型B細胞リンパ腫(DLBCL)の中でも予後不良とされるCD5陽性DLBCLの予後改善に向け、10年近くにわたり新規治療法の開発に取り組んできた、三重大学大学院医学系研究科血液・腫瘍内科学の宮﨑香奈氏。dose-adjusted EPOCH-R療法と大量メトトレキサート療法を組み合わせた治療法による前向きの多施設共同第Ⅱ相試験の解析結果を2018年の米国臨床腫瘍学会(ASCO)で報告し、新規治療法の開発への道筋を付けた。今後も大都市のがん専門施設と同じ水準の治療を三重県の患者も受けられるよう、新しいエビデンスの確立に向け、努力を続けていく。
2018年に米国・シカゴで開催された米国臨床腫瘍学会(ASCO)で「Dose-adjusted(DA)-EPOCH-R with high-dose methotrexate(HD-MTX)for newly diagnosed stage Ⅱ-Ⅳ CD5-positive diffuse large B-cell lymphoma(CD5+DLBCL): Primary analysis of PEARL5 study.」と題し、10年近く研究を続けてきた、CD5陽性びまん性大細胞型B細胞リンパ腫(DLBCL)の新しい治療法についての臨床研究の結果を報告し、新治療の開発に向けて、新たなスタートを切ることができました。
CD5陽性DLBCLは、予後不良因子を高率に持っており、リツキシマブが導入された後も予後不良のままでした。これは中枢神経系再発/増悪の割合が診断後2年で13%と高いことが最大の原因です。CD5陽性DLBCLに関する研究は、日本が世界をリードする形で進められてきており、その予後改善は日本のリンパ腫に取り組む血液内科医の責務と考えられています。
ASCOで発表したのは、初発Ⅱ-Ⅳ期のCD5陽性DLBCL患者さんを対象とした、新規治療法を前向きに評価する国内多施設共同第Ⅱ相試験の解析結果です。新しい治療法は、従来のR-CHOP療法に改良を加えたdose-adjusted EPOCH-R療法と中枢神経系浸潤予防として大量メトトレキサート療法を組み合わせた治療法で、試験の名前は三重県の特産である真珠にちなんで「PEARL5試験」と名付けました。
PEARL5試験は2012年に開始し、47名の患者さんが登録、3.1年間(中央値)追跡しました。その結果、2年無増悪生存率(PFS)は79%で、ヒストリカルコントロールのR-CHOP療法群(51%)より優れていました。2年全生存率(OS)は89%でした。また、中枢神経系(CNS)の再発は9%でした。これらの結果から、新しい治療法は初発Ⅱ-Ⅳ期のCD5陽性DLBCLに有効であることが示されました。現在、追跡期間を5年とし、2021年11月までに有効性と安全性の評価を行なう予定です。
入局直後に有害事象共通用語の口頭試問
3日間でCTCAEのJCOG版をすべて暗記
私は2000年3月に福井医科大学(現:福井大学)医学部を卒業後、出身地の三重に戻り、三重大学第二内科に入局しました。学生時代の臨床実習で、非ホジキンリンパ腫の患者さんが治っていく様子を見て「血液内科に進み、リンパ腫の診療をしたい」と考えていたので、血液内科を中心に、腫瘍内科、消化器内科をカバーする第二内科に入りました。
リンパ腫の診療・研究の道に進む決め手となったのは、入局以来お世話になっている山口素子先生との出会いでした。入局間もない頃、ほぼ初対面の私にCTCAE v2.0のJCOG版を手渡しながら「3日後にここに書いてある有害事象について口頭試問するから、それまでに全部覚えてきてね」と言われたのです。今なら「そんなこと無理です」と断ったかもしれませんが、何も分からない私は、必死で内容を暗記し、口頭試問に臨みました。ただそのおかげで、目の前の患者さんの病状を診るだけでなく、有害事象にも常に注意する診療スタイルが身に付きましたし、後の臨床研究では、他施設の先生方にも有害事象についてできるだけ正確に説明する力も付けることができました。
入局する前にリンパ腫に興味があることを話していたせいか、初めから「リンパ腫をやる新人」と見られていた節もあり、研修1年目は山口先生にリンパ腫を中心にたくさんのことを教えてもらいました。とても忙しい1年目でしたが、何人ものリンパ腫の患者さんが治るのを目の当たりにしてやりがいを感じました。
2年目は関連病院の市立伊勢総合病院に勤務し、内科だけでなく、外科、小児科などをローテーションしました。3年目には松阪市民病院に消化器内科医として赴任しました。「女性外来を立ち上げるから、その担当医になってもらう」という理由でした。第二内科でも消化器内科の患者さんを数人担当しましたが、内視鏡を扱った経験はほとんどありません。先輩から少し指導していただいたあとは、DVDを見ながら使い方を勉強し、実際の患者さんの診察を行ないました。もちろん、ベテラン医が横についての診察ですが、内視鏡が最終地点に到着したかどうかがよく分からず、横から「もう到着しています」と言われてはじめて目的の部位まで内視鏡が入ったのを知る、ということもしばしばありました。今では、こんなことは許されないでしょう。
リンパ腫の網羅的遺伝子解析でASHのポスター演題に採択
ルガノでの初の口演では上司、先輩も緊張
卒業後4年目の途中から三重大の大学院に進学しました。ただ、しばらくは松阪市民病院の勤務を続けていましたので、「宮﨑先生は夜学に通っているらしい」という噂まで立ちました。5年目(2004年)に大学の医局に戻り、本腰を入れて大学院で研究することになりました。
研究テーマは、当時准教授だった小林透先生から提案された「悪性リンパ腫のRNAの網羅的解析」です。小林先生の留学先だったMDアンダーソンがんセンターで習得されてきたマイクロアレイによる網羅的遺伝子メチル化解析の手法で、約100の遺伝子によりリンパ腫を分類するという試みです。
さて、マイクロアレイとは何?というところから、研究はスタートしました。スピッツなど実験器具の使い方も分かりません。良くも悪くも放任主義でしたから、全て一人で一から学んでいきました。この頃から何でも独学する習慣がついたのかもしれません。
マイクロアレイを使った実験については、開発・提供する企業による3泊4日の合宿研修に参加して覚えることになりました。ところが、参加者の多くは経験のある企業の研究者で私一人が全くの初心者という感じでした。同じグループになった参加者が親切で、何も分からない私を見るに見かねていろいろと教えてくれました。
実験で得られたデータの解析法もよく分からず、最初は少数例を一旦解析専門会社に依頼し、その結果からどのように解析するのかあれこれ類推した経験もあります。また、その結果を論文としてどう書くかもよく分からず、いろいろな先生のアドバイスをもとに何とか仕上げることができました。
内容は、DLBCLにおける遺伝子発現プロファイリングによって、CD21抗原発現はDLBCLの予後良好因子であること、CD21の発現に最も関連しているのはIGHM遺伝子であることなどです。この結果を見て、山口先生や小林先生から「これを米国血液学会(ASH)に投稿しなさい」と言われ、英語の抄録を作成して投稿したところ、ポスター演題として採択されました。ポスターを作るのも初めてでしたが、何とか2006年にオーランドで開催されたASHで発表することができました。
会場には、山口先生と懇意にされている愛知県がんセンターの瀬戸加大(まさお)先生が見に来られ、「どうやってこの解析をしたのか」と聞かれました。正直に「独学です」と答えたところ、「一度、愛知に来なさい」と声を掛けられました。この瀬戸先生との出会いも、私の研究者としての進路に大きな影響を与えました。研究の進め方、論文の書き方から英語でのプレゼンテーションまで学び、三重大学の大学院生でありながら、愛知県がんセンター瀬戸研の院生のような扱いをしてもらいました。
〈後編では、国際学会での発表を積み重ねたのち、CD5陽性DLBCLに特化した治療法を検証するPEARL5試験(医師主導臨床試験)を完遂するまでの道のりを語っていただきました。〉