神戸発、東京・NY経由、神戸行き
臨床好きな若きPIの奮闘(後編)
井上大地(神戸医療産業都市推進機構 先端医療研究センター 血液・腫瘍研究部 部長)
2021.11.25
心機一転、米国で新たなテーマで研究開始
スプライシング異常による発がん機構を解明
世界一の大都会NYでは2019年3月まで約3年半を過ごしました。スローンケタリングでは週に数回のセミナーが開かれ、そこではがんに関するあらゆる最新トピックを聞くことができました。論文発表前のデータが日々発表され、熱気に溢れた恵まれた環境に浸かりました。米国留学から帰ってきた研究者が、「周りにいる米国人たちは大したことなかった」と言うのをよく耳にしますが、自分の場合はそのように思うことは一度もなく、公私ともに毎日が新しい環境での冒険だったと思います。走る環境も含めて米国生活が快適になってきた私は、米国での独立や永住も考えましたが、正直なところ米国の貧弱な医療保険制度と日本食への恋しさとの間で揺れ動きました。そこに、留学途中に「神戸で新たなラボを立ち上げないか」という北村先生の悪魔のようなお誘いもあり、「神戸なら」という気持ちで帰国を決断しました。世界中の人々の情熱が迸るNYでの3年半の研究生活は密度の濃いものでした。今でもNYが恋しくなった時にはブロードウェイミュージカル「ハミルトン」のサントラを聴いて心を鎮めています。
NYでの研究成果としては、スプライシング異常のキープレーヤーであるSF3B1遺伝子の変異を原因とした発がん機構と、ゲノム内にごく少数しか存在しない「マイナーイントロン」のスプライシング異常による発がん機構という、2つの仕事を中心にやり遂げることができました。その一方で成仏できなかったプロジェクトも多数ありました。
スプライシング因子はOmar先生がいち早く着目してモデルマウスを作製していました。しかし、スプライシングというのは種間で保存されにくいイントロンを相手にしているので、マウスモデルの価値というものに疑問を感じていました。試行錯誤の結果、ヒトのあらゆるがんで認められるSF3B1変異の下流標的をがん横断的な患者データを用いて探索し、そこに機能的CRISPRスクリーニングを組み合わせて行うという手法を思い至りました。その結果、それ自体は変異がみとめられない遺伝子もSF3B1変異によって“とばっちり”を受けていることが分かり、その中からBRD9遺伝子のスプライシング異常に特に興味をひかれました。
BRD9の生物学的な機能は、当初は全く分かっていませんでした。そこでMDSより評価が容易な悪性黒色種腫モデルを使って実験を進めた結果、BRD9が新規クロマチンリモデリング複合体の構成因子であること、SF3B1変異によりその複合体の機能が障害されることが分かってきました。さらに、がん発症に関わるBRD9のスプライシング異常は、核酸医薬やCRISPR技術により修正可能であるため、SF3B1遺伝子変異のある症例では有望な治療標的になるというデータを出し、結果的にいくつもの幸運が重なってNatureに掲載することができました。帰国後もプロジェクトの一つとして、MDSをはじめとする造血器腫瘍でのBRD9の役割について病態理解に基づいた臨床応用を視野に取り組んでいます。
米国で始めたもう一つの仕事である「マイナーイントロン」による発がん機構は、ゲノム上にごく少数しか存在しないマイナーイントロンが、スプライシングの過程で適切に除去されずmRNAごと分解されるという未知の発がんメカニズムとして報告することができました。実のところ、「BRD9だけでは日本に帰れない」という危機感もあり、2018年から取り組んだテーマです。ノックアウトマウスと一緒に帰国後も神戸で仕事を続け、共同研究者のサポートを得て2021年にようやくNature Genetics掲載に漕ぎ着けましたが、始めた当時は未来につながる新しい研究領域を拓くような仕事になるとは思ってもいませんでした。
マイナーイントロンは、魚類、両生類、ヒト以外の哺乳動物、そしてヒトの遺伝子に進化的に保存され、細胞周期、シグナル伝達、遺伝情報の転写・翻訳など、重要な遺伝子の中に1つだけ含まれるイントロンで、全イントロンの0.3%程度です。その詳細はこれまでほとんど解明されていませんでしたが、私はマイナーイントロンのスプライシングに不可欠なZRSR2遺伝子に着目し、その変異のある患者さんやマウスモデルの解析を進めました。この時にも上述のCRISPRスクリーニングなどの実験手法が大いに役に立ちました。
その結果、近年注目されているがん抑制遺伝子のLZTR1遺伝子に含まれるマイナーイントロンがスプライシング異常により除去されず、発がんに至る新たな現象を発見しました。また、スプライシング異常の原因として、ZRSR2遺伝子変異だけでなく、マイナーイントロン自身の変異も見出し、ゲノム上の非コード領域の重要性を改めて指摘しました。マイナーイントロンを介した発がん機構に基づく治療応用も期待されますが、何よりも「生物はなぜマイナーイントロンが必要だったのか?」、という進化的な問いに惹かれ今現在もこの命題に取り組んでいます。
トレイルランなどを通じ多くの仲間を得る
神戸ではPIとして新しい研究環境を作る
米国では研究以外にも家族との時間、オフの切り替えの大切さを日本以上に学ぶことができました。超朝型になり、明るいうちに帰って子供を芝生に連れ出す、子供が寝たらトレーニングに励む、週末は家族が起きる前に30~50km走る、そんな日々を送ることができました。留学3年目にはNYとその近郊の大学や研究施設にいる日本人会の幹事役を務めました。年に数回は、花見やバーベキューパーティー、新年会などを開いて、様々な背景を持つ人たちとの交流を深めました。夏のバーベキューパーティーでは過去最大の170人が集まり、同じ釜の飯ではないですが、コロナ前のNYの同じ空気を吸った仲間とは特別な関係になりました。彼らの多くは現在も日米で研究を続けていて、このネットワークが今でも共同研究につながっています。他にも、様々なソーシャルなイベントに参加し、現地のトラッククラブやトレイル関係のボランティア活動なども行ないました。それらを通じて、米国でも様々な国籍の多くの仲間ができました。自然豊かな米国はトレイルランの発祥の地で、毎週のようにどこかでレースが開催されています。休暇のたびに遠くはコロラドやヨーロッパまで足を伸ばして、競技にも励みました。現地のランナーとバチバチに競り合いながら優勝4回、準優勝4回の成果を上げられたこと、全米選手権に出場したことはとても良い思い出になっています。余談ですが、論文を出した時に、いろんな方に「真面目に研究もしてたんですね」と言われたぐらいです。
冒頭にお話ししたように、米国から帰国後の2019年春に神戸で新たな研究室を開設しました。心から愛する「神戸」でなければ、戻ってこなかったと思います。家から5分で山に行けて、美しい海を見渡せる神戸に思い入れがあります。今も早起きして山頂で朝日を拝むのがルーティンになっています。まだ中学生だった1995年の阪神・淡路大震災をきっかけに、重厚長大産業都市から医療産業都市へと大きく変貌した神戸を間近で見てきたことが神戸への思い入れをより一層強くしていると思います。
神戸では文字通り何もない状態からのスタートでした。最初の1年半は、研究費と人材を集めることに泥まみれになって必死で取り組みました。ぼっちPIを覚悟しましたが、初年度から6人がラボに来てくれました。今では13人に増え、施設や設備も拡充し苦労が少しずつ形になっています。2021年9月には新設されたスタイリッシュな研究棟に引っ越すことができ、明石海峡大橋や神戸空港を眺めながら日々楽しんで研究ができています。私自身、臨床や医療も大好きなものですから、神戸や阪神間で血液内科を中心とした在宅医療を広く手がけるクリニックで外来業務を週2回させていただき、日々患者さんからも大きく学んでいます。臨床医としての視点も持ち合わせながら最先端の研究を進めていきたいと願っています。
ラボの船出にあたって想像以上の苦労を伴いましたが、2015年マンハッタンという新しい場所でマイノリティとして再出発した時の経験が支えになりました。日本では、医者、男性、博士号というガラスの“ゲタ”を履いていたのをNYでは痛感しました。この時に感じたことや、仲間と支え合いながら常に自分自身の価値を証明し続けることの大切さはラボを運営する側となっても同じだと感じています。
神戸では、自分が米国で受けた恩を返すために中国などからの留学生を多く受け入れています。彼らを研究者として育て、ヒトを残すことに尽力したいと思っています。もちろん、苦労は日々絶えません。NYで多様性というものを思い知りましたが、ラボメンバーの多様性というのもなかなかのものです。それぞれの動機や目的、価値のベクトルは全く違うものだということをこの2年半のPI生活において学びました。自分がラボに注ぐ熱量を他のメンバーに望んではいけません。私の仕事は、そういういろいろなベクトルを協調させること、そしてその力を外に向けて発信することだと認識しています。
新規ラボのフェーズ1の、PIが管理型に徹し、頻回のディスカッションを通じてメンバーの力をゼロから1に引き上げる段階を終了し、それぞれの力のベクトルを協調させることを目指すフェーズ2に向かっています。そしてそれぞれの力が1になれば、その先は収穫の時期を迎えるでしょう。これが私の描くフェーズ3です。これまで積み上げてきた転写後制御に関する研究以外にも、新たな骨髄ニッチの制御機構や、新たな細胞死のメカニズム、白血病の創薬開発に真剣に取り組んでおり、今後も多くの企業との共同研究も進め、PIとしてラボ全体としての成長と発展に力を注いでいきます。転写後制御については上述のBRD9、マイナーイントロンに加えてEVI1の新規スプライシングバリアントの解析などを行なっています。骨髄ニッチの制御機構においては、エクソソームに着眼したり、空間トランスクリプトームなど新規技術にも取り組んでいます。細胞死については酸化ストレスやミトコンドリア機能の観点から全く新しい概念で挑戦を続けています。その他にも白血病を治癒させるための方策を日々共同研究先と考えて試行錯誤を繰り返しています。このようなとてもワクワクするすばらしい研究環境で仕事ができるのは、北村先生・本庶先生をはじめこれまで支えてくださった先生方やラボの若手メンバーのおかげだと日々感謝しています。また、不惑を迎えて振り返ってみると“万事塞翁が馬”であり、もうダメだと思っても必ずどこかにソリューションがあり、大抵のことは何とかなるようになるのです。そして、なるようになった状態が「解」だということです。私のモットーは「LIVE YOUR BEST LIFE」という言葉です。我々と一緒に夢に向かって走ってくれるメンバーを随時募集しています。またこれからも自分らしく新しい仲間と全力で走り続けたいと思います。