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気鋭の群像Young Japanese Hematologist

カナダ・トロントでリンパ腫のラボを開設
Clinician Scientistとして臨床にも携わる(後編)

青木智広(カナダ・プリンセスマーガレットがんセンター 腫瘍・血液内科 クリニシャン・サイエンティスト(スタッフ ヘマトロジスト)/トロント大学 アシスタントプロフェッサー)

青木智広氏
プリンセスマーガレットがんセンター、トロント大学の青木智広氏

 2010年4月から、愛知県一宮市立市民病院血液内科に勤務し、ここで今橋伸彦先生(現:名古屋医療センター)らと出会いました。今橋先生は精力的に診療に携わる一方で、多くの論文を執筆されており、私もそれを見習って論文を書くようになりました。また鈴木律朗先生(現:島根大学)が主催されていた勉強会にも参加させていただき、そこで千原大先生(現:MD アンダーソンがんセンター)とも知り合い、彼のアグレッシブな活動にも刺激を受けました。

 その後、2011年4月から3年間は、名古屋第二赤十字病院血液・腫瘍内科に勤務し、小椋美知則先生、鈴木達也先生らとご一緒し、全国各地で実施されている多くの臨床研究をまとめて論文にされている姿を目の当たりにし、また私自身も、国内の全国規模の後方視的研究に携わる機会をいただき、これも私にとって大きな刺激となりました。

留学を視野にリンパ腫の基礎研究を学ぶ
ブリティッシュコロンビアがん機関のFellowshipに

 研究手法を学び、留学したいという当初の目的を果たすため、2013年4月に名古屋大学大学院医学系研究科に入学し、リンパ腫の基礎研究について一から学ぶことにしました。元来、手先が器用ではなく、実験も医学部以来ほとんど経験していないので最初は苦戦しましたが、島田先生、清井仁先生のご指導により研究が軌道に乗るようになりました。

 私の研究に対するモチベーションの礎は、患者さんを治したいという臨床医としての最終的なゴールです。血液内科では治療成績が向上したとはいえ、どうやっても治らない人も多く診てきただけに、治すためには基礎研究が必要との思いを強くしました。手技はほぼゼロからのスタートでしたが、最終ゴールを見据えてのアイデアを出すのは比較的好きで、実験計画を組み立て、途中結果から計画を軌道修正していくという作業の連続は苦になりませんでした。4年間で博士課程を修了し、留学し、ポスドクとして研究を続けたいという将来像も描いており、それもモチベーションになりました。

 学位論文は、ダブルヒットリンパ腫(DHL)のサブタイプに対する新規治療の開発です。ドラッグ・スクリーニングを患者さんの細胞を用いてin vitroで行なうという研究で、患者さんの腫瘍細胞だけでなく、その周囲の線維芽細胞を採取し、共培養し、新たな標的となるマーカーを同定しました。腫瘍細胞と微小環境の関係を解析するという、現在の研究活動の基礎となる成果が得られました。

 ポスドクとして海外の勤務先を探すに当たり、私は小椋先生と縦隔原発大細胞型B細胞リンパ腫の後方視的研究をさせていただいた際、関連する免疫回避に関する論文を『Nature』誌に、そして、同時期に、腫瘍微小環境に関する論文を『NEJM』誌に発表していた、カナダ・バンクーバーのChristian Steidl(クリスチャン・スタイドル)先生に惹かれていました。NEJMの論文は、リンパ腫の腫瘍細胞と微小環境中のマクロファージの関与を研究した内容で、興味を覚えるとともに、大学院での私の興味と重なると思いました。また、クリスチャンはラボを立ち上げたばかりで、私が研究を始めるにはチャンスとも考えました。

2018年当時のクリスチャン・スタイドル ラボメンバー。クリスチャン(後列、左から4人目)は、ラボを離れた今でも最高のメンター。
2018年当時のクリスチャン・スタイドル ラボメンバー。クリスチャン(後列、左から4人目)は、ラボを離れた今でも最高のメンター。

 博士課程修了前の2014年の米国血液学会(ASH)では、遠西大輔先生(岡山大学)がクリスチャンのいる施設のランディガスコインのラボに留学していることを知っていたので、面識はなかったものの、突撃して遠西先生にお話をうかがいました。そこで、親切に対応いただき、「クリスチャンは面倒見が良く、性格もいい先生」との情報をいただけたのでポスドクに応募することに決めました。履歴書を送るとともに、遠西先生のご推挙もいただいたのですが1カ月間音沙汰なしでした。諦めかけましたが、Grantで忙しいということをうかがっていたのと絶対にそこに行きたかったので、粘り強く待ったところ、その2週間後に連絡が来て電話面接を受けることになりました。

 英語が得意ではないので、想定問答を書いた紙(あんちょこ)をデスクの周囲にびっしりと貼り付けた上で、クリスチャンとの電話面接に臨みました。うまく聞き取れないときは、電話回線が不調だと言い訳しながら聞き直し(笑)、なんとかFellowship(海外学振)の獲得にも漕ぎ着け、留学が決定しました。

Lymphoma Research Foundation(LRF)のメンターシッププログラムの同期とNYで。今では全員北米で無事PIとなり、一生切磋琢磨できる仲間に。
Lymphoma Research Foundation(LRF)のメンターシッププログラムの同期とNYで。今では全員北米で無事PIとなり、一生切磋琢磨できる仲間に。

 2017年4月にカナダ・バンクーバーのブリティッシュコロンビアがん機関のDepartment of Pathology and Laboratory Medicine, Postdoctoral Fellowとして着任し、研究生活に入りました。この時点では、ポスドク後の進路のことは全く考えておらず、とりあえず目の前の研究に全力で取り組むことだけを考えていました。研究目標は、若い患者が多いホジキンリンパ腫(HL)の治療成績の向上を目指すことで、米国小児腫瘍研究グループ(COG)など北米の小児リンパ腫の臨床試験グループとの共同研究などにも参加しました。仲間にも恵まれた研究生活で、バンクーバーでの新たな研究結果が評価され、2019年12月にASH優秀アブストラクトアワード(Best of ASH)、2020年にはブリティッシュコロンビアがん機関ベストパブリケーションを受賞し、いくつかの論文を発表することができました。

バンクーバーの大自然は格別。ラボの仲間とスノーシューで夕日を見ながら乾杯!!
バンクーバーの大自然は格別。ラボの仲間とスノーシューで夕日を見ながら乾杯!!

 中でも私にとって大きな出来事は、LRF(lymphoma research foundation)でのCareer Development Awardの受賞でした。受賞した6人のポスドクは、リンパ腫研究の大御所12人と1週間の合宿を行ないます。Grantの書き方、研究上の悩みや進路などについて、ベテラン研究者に相談したり指導を受けたりしました。論文でしか名前を知らない私にとってスーパースターのような先生方に自分のことを知ってもらえて、相談にまで乗ってもらえる時間は夢のような時間でした。受賞したポスドクは皆、PIを目指しており、その半数は私のように北米以外の出身者で、それぞれいろいろな苦労を抱えており、彼らとのコミュニケーションも大いに刺激となりました。この合宿をきっかけに、北米の多くの研究者とのつながりができ、本格的に北米でのキャリア形成を模索し始めました。

バンクーバーで知り合い、公私ともに家族ぐるみでお世話になっている頼先生と最高の雪山ウィスラーで。
バンクーバーで知り合い、公私ともに家族ぐるみでお世話になっている頼先生と最高の雪山ウィスラーで。

 職探しは、北米のいくつかの施設に自分を売り込むことから始め、その中で、米国でリンパ腫研究のテニュアのアシスタントプロフェッサーを探している機関があり、半年間の選考期間を経てなんとかオファーを獲得したものの、研究のみのポジションだったため、臨床も諦めたくなかった私は悩んだ末、結局辞退しました。バンクーバーで研究を続けたい気持ちもありましたが、クリスチャンと研究テーマが重なってしまうため、現実的には難しいことも分かりました。

 そこで、新たに築いた北米の人脈の一人であるトロント大学プリンセスマーガレットがんセンターのロバート・クレイドル先生に相談したところ、「こちらでリンパ腫の研究ができる研究者を探している。トロントなら、Clinician Scientistという研究8割、臨床2割のポジションの可能性がある」ことを知り、カナダで臨床の研修も受けつつ、研究を継続することを決意しました。

バンクーバーからトロントに研究拠点を移す
日本の若手研究者のキャリア形成を支援したい

 カナダは公的医療保険制度であり、トロントのあるオンタリオ州は全てのアカデミアの大学や病院が公立です。このため、新しいスタッフを採用したいと考えても、そのポストを用意するには予算なども含めて州から認められるための手続きが必要で、タイミングも含め運も必要です。プリンセスマーガレットがんセンターの部門長からは、私の研究は評価できるが、カナダでの臨床経験がないため採用は難しいし、今はポジションに空きはないと言われました。その一方で、ロバートだけでなく、リンパ腫部門のチームリーダーも私の研究内容を評価し、好印象を持ってくれていたため、彼らの権限でリンパ腫のClinical Research Fellowというポジションを作ってくれて、2023年1月から私はリンパ腫の研究を継続しながらリンパ腫の臨床のトレーニングを始めることができました。

 オンタリオ州には教育免許の仕組みがあり、Fellowとして臨床に従事するためには、母国で血液内科専門医であることと英語でのコミュニケーションに問題がないことが求められますが、Fellowだけであれば、米国のようにUSMLEのような試験を受ける必要はありません。前者は問題なく、英語についても6年近いカナダでの研究生活の間コツコツと英語学習を続けていた成果もあり、こちらもなんとかクリアできました。

 そして、Clinical Research Fellowを続ける中で、スタッフポジションの公募が始まったのでそれに応募し、なんとか今までの研究成果と臨床能力が認められ、2024年10月に臨床のスタッフとなり、さらに自分のラボを開設することができました。

国際色豊かなClinical Research Fellow時代の同期。出身は、カナダ、メキシコ、イギリス、オーストラリア、サウジアラビア、インド。
国際色豊かなClinical Research Fellow時代の同期。出身は、カナダ、メキシコ、イギリス、オーストラリア、サウジアラビア、インド。

 ここで、カナダでの私の主な研究成果について簡単に紹介します。私達は、当時としては比較的新しい技術であったシングルセルシークエンスやイメージングマスサイトメトリーという技術を用いて、HLの微小環境の相互作用を、これまでにないくらい詳細にRNA、タンパク質レベルで解析してきました。そして、新規の細胞や相互作用を同定しそれらが治療標的や治療効果の評価につながる可能性を示唆しました。

 具体的には、まず、免疫の中心的役割を果たすT細胞に着目しました。固形腫瘍では通常、CD8+T細胞の浸潤が多くみられるのに対し、HLではCD8+T細胞の数は抑えられ、CD4+T細胞が腫瘍周囲に増加していることから、CD4+T細胞が何か特徴的な作用をしていると考えました。そこで患者さんの腫瘍細胞と微小環境中の細胞についてシングルセル解析を行なった結果、PD-1、CTLA-4に続く第3の免疫チェックポイント分子として注目されるLAG-3を発現するTreg細胞が増えていることを見出しました。それがHLの腫瘍細胞のMHCクラスII分子と相互作用し、免疫抑制的な微小環境を形成していることを見出し、本研究結果は、2020年に『Cancer Discovery』誌に掲載されました。

 さらに空間的解析を進めた結果、Hodgkin/Reed-Sternberg(HRS)細胞にはCXCR5が発現していること、微小環境中のマクロファージにはCXCL13が発現していることが明らかになり、特に再発HLではCXCR5+HRS細胞とCXCL13+マクロファージがcross talk をしていることも分かりました。そして、これらの特徴を組み合わせ、再発・難治HLの新たなバイオマーカーを開発しました。腫瘍細胞の遺伝的情報に加え、微小環境の細胞の解析を行なうことで、それぞれのマーカーが治療標的につながる可能性が示されたのです。この結果は、2024年に『JCO』誌に掲載されました。

 私が医学部に進学してからトロントでラボを開設するまでには、多くの人に出会い、サポートを受け、恵まれた環境で診療や研究を続けることができました。特に、クリスチャン・スタイドルは研究面の指導だけでなく、僕のキャリア形成を本当に親身にサポートしてくれて、彼との出会いは私の人生を大きく変えてくれました。この経験から留学先を選ぶときに、誰のところに留学するかは本当に大切だと思いますし、これからは、私が、その立場になり次の世代の方に恩返しをする番だと思っています。カナダ・トロントは臨床でも研究でも留学可能であることをまず知ってもらい、一緒にリンパ腫の治療成績向上を目指したいと思う人にぜひ興味を持って来てもらえたらと願っています。

 私の研究と臨床のゴールは、いまはまだ治らない患者さんを治せるようにすることです。大きな視点を持って、画期的な新規の治療開発を実現させたいと本気で思っています。いま、日本人のリンパ腫の若手研究者は、皆バンクーバーに行きたがりますが、10年後、いや5年後にはバンクーバーと肩を並べるラボに発展させたい、そう考えて努力を続けていきます。