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気鋭の群像Young Japanese Hematologist

造血幹細胞を柱に米国に研究拠点を構えて13年 他領域の研究者との交流も力に研究領域の拡充へ(後編)

伊藤圭介氏
アルバート・アインシュタイン医科大学の伊藤圭介氏

 この期間の大きな研究成果は「A PML–PPARδ pathway for fatty acid oxidation regulates haematopoietic stem cell maintenance(脂肪酸酸化を介した造血幹細胞維持を制御するPML–PPARδ経路)」として、2012年に『Nature Medicine』に掲載されました。

 この研究は、脂肪酸酸化を制御するPML–PPARδ経路が造血幹細胞の維持に重要な役割を果たすことを初めて示し、代謝と幹細胞生物学を結ぶ重要な発見となりました。そして、後の『Science』(2016年)掲載の“mitophagy”、『Cell Stem Cell』(2024年)掲載の“NADPH–cholesterol軸”へと発展する、現在の私のラボの「代謝と幹細胞性」研究シリーズの出発点となりました。

 さらに『Nature Medicine』、『Nature』(2008年)掲載の研究成果が高く評価され、米国国立衛生研究所(NIH)が提供する米国の医学・生物学分野でポスドク研究者を対象としたグラント「K99/R00」の授与が決まりました。K99が2年、R00が3年、合わせて5年間のグラントであり、私が米国に残り研究を続けようと強く決意する大きな動機付けとなりました。こうして独立を決意し、2012年にはニューヨークのアルバート・アインシュタイン医科大学細胞生物学・幹細胞センターのアシスタント・プロフェッサーとして着任、念願の自分のラボを立ち上げました。

独立後はメンバーが増え研究領域が拡大
多くの研究成果を論文化し研究を深める

 米国の大学では通常5年ごとに昇進する仕組みになっており、2017年に准教授に、そしてコロナ禍の影響もあって1年遅れで2023年にテニュアを取得して教授に就任しました。この間、ラボのメンバーは着実に増え、当初は造血幹細胞の代謝維持機構やミトコンドリアを核とした研究領域でしたが、現在は造血器腫瘍・骨髄微小環境・EVといったテーマも加わり、それらを結びつける広い視点での研究へと発展しています。2016年の『Science』に「Self-renewal of a purified Tie2⁺ hematopoietic stem cell population relies on mitochondrial clearance(Tie2陽性造血幹細胞の自己再生はミトコンドリアの除去(mitophagy)に依存する)」の論文が掲載されました。これは、ミトコンドリアの質の管理と幹細胞の自己複製機構とを結びつける画期的な報告で、造血幹細胞研究と細胞老化、白血病発症研究に新たな代謝的視点をもたらしました。また、2012年の論文(PML–PPARδ経路)と連続して、代謝と幹細胞性を結ぶ一連の研究ストーリーの重要な転換点となりました。

 2019年の『Cell Reports』には「Non-catalytic roles of Tet2 are essential to regulate hematopoietic stem and progenitor cell homeostasis(TET2の非触媒的機能は造血幹・前駆細胞の恒常性維持に必須である)」が掲載されました。TET2を「DNA修飾酵素」から「転写制御プラットフォーム」として再定義する意義を示しました。TET2が関連するMDSやAMLなどの新たな治療標的を模索する上で、“TET2の構造的役割”を考慮する必要性を提示しました。

2022年、NY。Ito研メンバーとヤンキー・スタジアムにてSubway Series(メジャーリーグのNY Yankees対 Mets)観戦後の一幕。
2022年、NY。Ito研メンバーとヤンキー・スタジアムにてSubway Series(メジャーリーグのNY Yankees対 Mets)観戦後の一幕。

 2022年には、ラボのメンバーが『EMBO Reports』に「NPM1 ablation induces HSC aging and inflammation to develop myelodysplastic syndrome exacerbated by p53 loss(NPM1欠損による造血幹細胞老化と炎症性シグナル活性化が骨髄異形成症候群(MDS)を誘導する)」という研究成果を報告しました。NPM1欠損が造血幹細胞の老化・炎症を介してMDSを誘導する機構を明確にしたもので、ミトコンドリア活性化→NLRP3炎症活性→MDS進展→p53喪失による白血病化、という病態連鎖モデルを提示しました。臨床的には、ミトコンドリアストレスや炎症経路の抑制がMDS進行抑制の新たな治療標的となる可能性を示しました。

 さらに2024年には『Cell Stem Cell』に「A mitochondrial NADPH–cholesterol axis regulates extracellular vesicle biogenesis to support HSC fate(ミトコンドリアNADPH–コレステロール軸が細胞外小胞形成を介して造血幹細胞の運命を制御する)」という、ラボの別のメンバーによる成果が掲載されました。2016年の『Science』論文(ミトコンドリア除去=mitophagy)で示した概念を発展させ、「ミトコンドリアが生み出す代謝産物を介した細胞間シグナル」という新しい層を加えた研究です。

2023–24年、Hamburg・Orlando・NYなど、 Ito研メンバーの国際学会・Internal WIPでの学術発表・ディスカッションの一幕。
2023–24年、Hamburg・Orlando・NYなど、 Ito研メンバーの国際学会・Internal WIPでの学術発表・ディスカッションの一幕。

 最近では2025年の『HemaSphere』に「TET3 regulates hematopoietic stem cell homeostasis during embryonic and adult hematopoiesis(TET3は胎生期および成体造血における長期造血幹細胞の恒常性維持に必須である)」と題した研究成果が掲載されました。これまで不明瞭だったTET3の造血幹細胞制御機能を明確に示し、DNAメチル化動態が造血幹細胞の寿命や老化、疾患化を規定するという新しい視点を提供しています。特にMDSやAMLなどTET関連造血疾患の新たな治療標的となる可能性を提示した点で、臨床的にも重要だと考えています。

ボストンで出会った「いざよい会」―研究人生を大きく変えた転機
医師以外の研究者たちの視点に触れ、世界が広がった瞬間

 これまで研究生活にはいくつもの転機がありました。その中でも最も大きく影響を受けた出会いは、ボストンの日本人研究者が集う「いざよい会(正式名称:いざよいの夕べ勉強会)」への参加です。2000年代に6人の研究者が発足させたこの会は、年齢や肩書きの垣根を越えて互いのサイエンスを高め合う、貴重なコミュニティでした。私はボストンに赴任した直後の2007年から参加しました。きっかけは本当に偶然で、「いざよい会」での代打のプレゼンがすべての始まりでした。その月の発表者が都合で不在となり、私が急きょ発表を引き受けることになったのです。その出来事を機に、ボストン在住時はほぼ毎回参加するようになりました。

2007年、ボストン。初めて参加した「いざよい会」。このときの代打プレゼンが、私の研究人生を大きく変える転機に。前列右から4人目が著者。
2007年、ボストン。初めて参加した「いざよい会」。このときの代打プレゼンが、私の研究人生を大きく変える転機に。前列右から4人目が著者。
2011年、ケープコッド(MA)。「いざよい会」の仲間とヒラメ釣りを満喫。ボストンへ戻り、メンバー宅でのパーティーでは、釣り上げた魚を囲んで科学のディスカッションと交流を楽しんだ。
2011年、ケープコッド(MA)。「いざよい会」の仲間とヒラメ釣りを満喫。ボストンへ戻り、メンバー宅でのパーティーでは、釣り上げた魚を囲んで科学のディスカッションと交流を楽しんだ。

 いざよい会は佐々木敦朗さん(現・シンシナティ大学医学部教授)が発案したもので、毎回3-40名ほどが集まります。勉強会では自由闊達なディスカッションが繰り広げられ、互いに切磋琢磨しながら他分野の知識を幅広く吸収することができました。血液内科だけでなく、多様な分野の方々とのつながり・交流が膨らみ、やがて同世代の仲間が6名、ラボを持ち独立する道を選ぶなど、米国での独立が現実的なものとして見えるようになりました。

Homecoming(正式名称:2023 IZAYOI Workshop in Boston – Homecoming the Stars to Shine –)のフライヤー。
Homecoming(正式名称:2023 IZAYOI Workshop in Boston – Homecoming the Stars to Shine –)のフライヤー。

 さまざまな事情で帰国する人、別の都市に異動する人など出入りは多く、私自身も2012年にニューヨークに移って以降、いざよい会への足は遠のいていきました。他のメンバーも東海岸のニューヨークや中西部のシンシナティ、西海岸のカリフォルニアなどに散り、最近では、「いざよい会」も参加者が減ってきていると聞いています。そんな折、私を含む5人が発起人となり、久しぶりにボストンに集まろうと「いざよいホームカミング」を企画しました。2023年8月11日には、米国で独立し活躍している旧友たちと再会し、旧交を温めるとともに、現在ボストンに留学中のいざよいメンバーとも新たなつながりを築く貴重な機会となりました。私にとっても、独立してラボを開設しようと考えはじめた当時の気持ちを思い出す、大切な時間になりました。

2023年、ボストン。いざよいホームカミング。発起人の佐々木敦朗さん(2列目左から4人目)・中村能久さん(現・シンシナティ大学医学部:左端)・梶村慎吾さん(現・ハーバード大学医学部:左から2人目)・森下博文さん(現・マウントサイナイ医科大学:右から3人目)と著者(右から2人目)、同世代の行川賢さん(現・カリフォルニア大学デービス校:左から3人目)も一緒に、現役いざよい会メンバーと二次会で交流を深めるひととき。
2023年、ボストン。いざよいホームカミング。発起人の佐々木敦朗さん(2列目左から4人目)・中村能久さん(現・シンシナティ大学医学部:左端)・梶村慎吾さん(現・ハーバード大学医学部:左から2人目)・森下博文さん(現・マウントサイナイ医科大学:右から3人目)と著者(右から2人目)、同世代の行川賢さん(現・カリフォルニア大学デービス校:左から3人目)も一緒に、現役いざよい会メンバーと二次会で交流を深めるひととき。

ラボの研究領域拡大と新陳代謝
未来を担う次世代へのエール

 私のラボの研究理念は「造血、幹細胞生物学、血液悪性腫瘍の発症機構を理解することで、新たな根治療法の創出を目指す」というもので、この理念のもと、造血幹細胞の恒常性維持や疾患化の分子基盤を多角的に解析しています。

 柱となるのは、①造血幹細胞の運命を決定づける代謝制御②TETの触媒・非触媒機能とMDS発症機構の解明③異常NPM1によるミトコンドリア機能障害と白血病病態形成です。

 今後は研究領域を広げつつ深掘りしていく構想を進めています。ただし米国のラボは主にポスドクと彼らを指導するシニアで構成され、メンバーは3〜5年で入れ替わります。ポスドクがやがて一人で研究を進められるようになり、後進を教育できるシニアとなり、最終的に独立へと至るというサイクルです。私のラボは、現在第3世代から第4世代への移行期にあり、最大で11人となったメンバーを7人にスリム化しつつ、新たな研究者の採用活動を始めています。

 振り返れば、研究と医療の道を歩み始めて25年が経ちます。これまでに培ってきた多くの学びや経験が、今の研究の確かな礎になっています。米国では研究室の運営は外部資金への依存が大きく、研究の継続はもちろん、人材の育成と世代交代を支えるためにも、常に次の挑戦を重ねることが求められます。

 研究者として、またラボを運営する立場としての歩みはまだ続きますが、若手の育成は重要な使命だと考えています。今後はその教育にも、これまで以上に力を注いでいきたいと思っています。研究室のメンバーや学生たちには、「人生は短いけれど、キャリアは長い」と伝えています。焦らず、長いスパンで自分の道を築いていってほしいからです。短期的な成果にとらわれず、今できることに全力を尽くすことーその積み重ねこそが、必ず未来につながっていきます。また、恩師や仲間との出会い、そして国際学会などで巡ってくる機会を逃さず、大切にしてほしいと思います。そうした出会いや経験こそが、自分の研究人生を豊かにしてくれるはずです。

2024年12月、米国血液学会、サンディエゴ。アインシュタイン医科大学細胞生物学・幹細胞センターのメンバーと。学生も多く参加し発表を行いました。前列左から4人目中央右が著者。
2024年12月、米国血液学会、サンディエゴ。アインシュタイン医科大学細胞生物学・幹細胞センターのメンバーと。学生も多く参加し発表を行いました。前列左から4人目中央右が著者。
2025年1月、NY。ラボパーティー。Ito研メンバーと。左から3人目が著者。
2025年1月、NY。ラボパーティー。Ito研メンバーと。左から3人目が著者。